娘とハッピーノートの出会い

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小中学校時代

私と鬱との出会いは小学生の頃でした。

「学校に行くのがしんどい。行きたくない」

「それなら死んでしまったほうがいい」

と毎日呪文のように考えながら登下校していました。

 

それでも私は皆の前では、明るく・面倒見が良い・楽しい人としていました。

時には給食時間気分が悪くなり、吐き気・頭痛等の病状が現れ、早退したり・保健室で休んだりしていました。

小学・中学とそんな日々を過ごしていて、無事「偽りの明るい私」で卒業しました。

高校時代

次に高校時代のことをお話します。

父親の勧めた高校とは違う高校を無理やり受験し、第一志望は不合格、第二志望は合格しました。

しかしこのことが原因で、父と母の間に亀裂が入り、離婚。

すべて私のせいです。生きていても仕方がないと思いました。

 

高校では、文武両道で通っていましたが、身体の様子がさらにおかしくなりました。

主に精神面では不安感・疎外感・落ち込む・やる気が出ない等。

体の面では頭痛・だるい・めまいがする・動悸・ほてる・不眠になる・便秘・喉が異常に乾く等です。

このことが毎日起こるようになり、高校を休みがちになりました。

 

そこで母の勧める心療内科の先生を紹介してもらい、話を聞いてもらいました。

診断名は自律神経失調症でした。

先生は「あなたは頑張りすぎ。休むことが必要だ」と優しく受け止めてくださいました。

初めて「生きていていいのかな」と思いました。

 

高校は通信制の高校に編入して、団体ではなく、通院・薬を飲みながら・アルバイトをしつつ、個人授業を受けながら無事主席で卒業しました。

 

社会人・出会い

社会人になり、私はコンビニでアルバイトをしたり、病院で医療事務をしたり、自律神経失調症と闘いながら生きていました。

長くお世話になったコンビニで働いている際、母より

「私の働いているコンビニに来ないか」

と誘われました。

当時居心地の良かったコンビニを辞め、私は新しいコンビニに行くことを決断しました。

 

そこでも、通院・服用しながらも、夜勤の10時間勤務を週に5回して生活していました。

夜の街だったので酔っ払いは勿論、お客様もすごく多くて、1日1日がとてもきつかったですが

そこで出会った仲間のおかげで、仕事が楽しいと思えるようになりました。

 

コンビニ経営・そして

そんなある日、本部の方から、母と私でコンビニを経営してみないかと提案されました。

考えた結果、やってみようと決意しました。

コンビニ研修・内容についてはつばさの日記を見てください。

実際、経営をしたら、一言で言うと「しんどい」でした。楽しいこともありましたが、

少しずつ私の心は蝕まれていっていました。

ある日は、勤務中にリストカットしたり、薬を大量に飲んで死のうとして、

トイレに引きこもって、救急車で運ばれたり。

今思えば、本当に周りに迷惑ばかりかけていました。

それでも、人前では明るくしていなきゃと自分なりにふんばっていました。

頑張れってずっと思っていました。

ーーーー頑張るって何?これ以上無理ーーーー

私の心は限界まで来ました。当時一人暮らしをしていたマンションの6階から飛び降りようと

しました。けど、それも出来なかった。私ってほんとバカ。

心療内科の先生が、他の病院の精神科に異動されたので、病院を転院しました。

私は、泣きながら先生に話しました。

仕事にいけなくなったこと、自殺未遂をしたこと、人が極度に怖いこと。

そこで言われた病名が、「躁うつ病」「適応障害」でした。

がんばったね、と言われたら涙が止まりませんでした。

みんな、私に「頑張れ」と言いますが、うつ病、躁うつ病の人に

言ってはいけないワードなんです。

頑張った、頑張りすぎた結果こうなったのだから、これ以上

何を頑張ったらいいのでしょうか。

一部の人には、怠けている、甘いと思われるかもしれません。

父にも、怒鳴られました。

「借金してコンビニ経営なんてしたからこうなった。

だから俺の言った通り高校を受けて公務員になっていれば良かったんだ。」

と。会うたびに同じことを何度も言われるので、今は父と距離を離していますが、

「死にたいな」「いなくなりたい」という気持ちは今でもあります。

ただ、生きてきたことで出会ったあしながおじさんに、昔言われました。

「親より先に死ぬな。それこそ親不孝だ」と。

そのあしながおじさんに出会っていなければ、私はもうこの世にいなかったでしょう。

いつも明るく元気な私の心の中の闇を見破ったあしながおじさんには、

いまでも感謝しています。

もし、自分の周りにうつ、躁うつ病っぽいなというかたが居ても、

どうか「頑張れ」とか言わないで下さい。

私は躁うつ病なので、なかなか分かってもらえませんが、その一言だけは、

本当に言ってはいけません。

人間いつしか死にます。それまでどう生きていくかはその人それぞれありますが、

私は「親より長生きする」ことを目標に生きていきたいと思います。

自立神経失調症、躁うつ病、適応障害と闘っている方へ。

頑張らなくていい、マイペースでいいんです。

現在の私

色々なことを経験し、生かされている私はあるものと出会いました。

それは、母から勧められた「ハッピーノート」でした。

一日3つよかったことを入力するだけです。

初日は何を書けばよいのかわからず、迷いましたが二日めからは一日の終わりには

3つとも埋まっています。

これを入力することによって底の方にいた自分が浮上することが出来つつあります。

家に居ても、簡単に書けるし、例えば外に出てきれいな夕日を見れたときなどには、

「散歩をしたらきれいな夕日に出会えたこと」

などと書いたりしています。

イベントを書く欄もあり、そこには通院した日や友達とあった日を入力し、

ふと数日前「何をしていたかな?」と思い返したいときに見ることできます。

ハッピーノートは私の気持ちを浮上させてくれる一つのツールです。

そんなハッピーノートを私はお薦めしたいと思っています。

 

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