【必見】ガンサバイバーつばさが語る、コンビニスタッフ時代の壮絶な経験!

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 私が「ガンと働き方」について書く理由

私は24歳で結婚してからずっと専業主婦をしてきました。

それが、離婚してから悪性リンパ腫Ⅳ期になるまではずっと働き詰めでした。

とにかく高校1年と3年の子ども達を食べさせていかなければならない。

きちんと学校を卒業させなければならない。

恥ずかしい思いをさせてはならない。

それで名字は元夫の姓のままにしました。

友達にも分からないように・・。

 

私の頭の中は毎日、でした。

助けてくれる親族もなく1人で頑張るしかなかったのです。

 

私の親族にガンは一人もいません。

なぜ私だけがガンになったのか?

それも2回も・・・。

 

私はガン=ストレスが原因だと思っています。

(私の場合、仕事が1番のストレスでした)

もしそうならば私の過去の働き方をみなさんに知ってもらいたいと思います。

そうして同じような立場の方やもっと過酷な状況の方に、特に読んでいただけたらなと思います。

それがこのコンテンツを書く理由です。

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 まずは私の現在について

この7年間の私の病歴をここに記します。

 

○H24年04月 骨盤臓器脱(手術)

○H24年10月 悪性リンパ腫Ⅳ期

       放射線治療・R-CHOP8クール

○H27年02月 大腸ガン(直腸ガン)Ⅲa期

                        手術・UFT+ユーゼル

○H29年10月 無痛性甲状腺炎

○H31年03月 骨粗しょう症(週に1回の注射・薬)

       全身が硬い(月・水・金リハビリの日です)

○H31年04月 白内障手術(両眼)

○R01年10月 疼痛性障害(左眼球と頭が痛い)・・原因不明

 

自律神経失調症(26歳位からずっと)+鬱

 左側の腎臓に6ミリ結石2個有り

 

そして現在たくさんの薬を飲んでいます。

(心療内科)

レキソタン

アリピプラゾール

エチゾラム

ブロチゾラム

サインバルタ

カロナール

(内科)

麻子仁丸(マシニンガン)

(眼科)

クラビット点眼液

フルメトロン点眼液

(頭痛クリニック)

ボルタレンSRカプセル

 

以上が私の病歴と飲んでいる薬です。

悪性リンパ腫と大腸ガンは現在経過観察中です。

私の現在を知っていただくために書きました。

 

 ガンの原因は不明

このコンテンツを読んでいる方は本人がガンになったのか、あるいは親族がガンになられた方が多いと思います。

ご存知の通り、ネットで検索してもガンの原因は不明です。

ストレス説・食事説・遺伝説等色々書かれていますが本当のことは分かりません。

でも、私が二回もガンになって以来、色々な病院に行きましたが共通することは

「ストレスを抱えない!」という先生の言葉でした。

ですからガン=ストレスが原因で話を進めていこうと思います。

 

私は娘と(たまに息子も)コンビニを経営していました。

5年経営した時点で悪性リンパ腫になったわけですが、私はコンビニでのストレスが大きな原因だと思っています。

まずはコンビニを経営するに至った道のりから話したいと思います。

※コンビニでの色々なエピソードは③白内障手術/自律神経失調症を読んでください。

 

 新規OPENコンビニでのパート

私が離婚後最初に勤めたのは、新規OPENの直営店のコンビニでした。

若い人が多く私が最年長です。

少し場違いな気がして抵抗がありましたがやるしか有りません。

OPEN前に5日間の研修がありました。

レジやカウンターフーズや接客の仕方等習いました。

そうしているうちに連帯感が生まれみんなと仲良くなれたのです。

 

OPEN初日すごい人でした。コンビニの本部の方も応援に来てくれました。

大きな失敗をすることなく無事に終えました。

それが私の中で自信に繋がりました。

しかし私は26歳の頃から自律神経失調症と闘っていました。

ですから仕事中に何度も気分が悪くなりました。

でも辞めるわけにはいきません。

 

1ヶ月後にはスタッフはほとんど入れ替わっていました。

いつの間にかスタッフの子達から「お母さん」と呼ばれるようになりました。

そんなある日店長から発注を習いました。

給料を上げるためにさせてくれたのです。

私は他のコンビニで働いていた娘を私のコンビニに呼びました。

 

そんな中、店長が退職。

若い店長がやってきました。

仕事の流れを180度変えられました。

若いスタッフは反発して辞めてしまいました。

私はついて行こうと思いました。

 

ある日店長に呼ばれました。

「店長会議の日が週に1度あるので留守にする。代わりに売上日報を作って欲しい。売上金は銀行に入金に行くこと」という言葉でした。

私は承諾しました。店長の信頼を裏切らないように頑張ろうと思いました。

その後、娘も私から習って売上日報を交替で作ることになりました。

 

娘も私も店長と副店長に信頼を得ていきました。

大阪であるセミナーにも参加させてくれました。

そうして5年の月日が流れていきました。

※つばさの努めていたコンビニは現在有りません。

※詳しい話は自律神経失調症・うつ病について②を御覧ください

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